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コザ十字路歴史絵巻 1600u沖縄最大の壁画   コザ十字路歴史絵巻解体新書(文化館にて)を、殆ど、まる写し・・。 
越来グスク時代 15世紀 琉球王朝の時代
越来グスク時代 15世紀越来グスク時代 15世紀 (右端)越来グスク城主まで登り詰めた男・鬼大城 尚泰久(琉球王国内代国王 第一尚氏)の娘を夫である阿麻和利(勝連城主)のもとから救出、金丸(第一尚氏 初代国王尚円王)のクーデターにより攻め立てられ知花グスクで自害
1945年〜50年代 チャンプルー文化が芽吹く戦後米軍統治下時代 「沖縄のチャップリン」小那覇舞天(弟子に照屋林助)などの芸能者がこの地域一帯で活動 「笑い」が困難な時代に「笑い」を提供、喜劇の真髄を究めて・・ 1945年〜50年代 チャンプルー文化が芽吹く戦後米軍統治下時代 米軍は本土上陸後すぐに越来グスクを占拠(現在より数十m高く石垣・礎石が残っていたので・・・脅威)地形ごと崩された
コザ十字路歴史絵巻 1600u沖縄最大の壁画右半分    コザ十字路歴史絵巻解体新書(沖縄市郷土館にて)を、殆ど、まる写し・・それしか出来ないので。。自分の勉強
越来グスク時代 15世紀
コザ十字路歴史絵巻 1600u沖縄最大の壁画左半分   コザ十字路歴史絵巻解体新書(文化館にて)を、殆ど、まる写し・・それしか出来ないので。自分の勉強
越来グスク時代 15世紀
1960年代、胡屋エリアは白人街、コザ十字路(照屋)は黒人街として栄える  黒人の文化、音楽、人種差別撤廃運動、公民権運動などに触れた若者が自分達に置き換えて、コザ暴動・騒動や本土復帰運動へと繋がる   
1960−70年代 沖縄市の台所として発展 黒人街だった照屋の地域は、地域庶民の台所としても発展し、1978年にアーケードが整備され、銀天街は最盛期125件の商店 外国人向けの飲食店・衣料品店立ち並び地元住民も多く利用されていた
 現在の みてのとおり 閑散としている