ヴォディチェ〜トロギール 車窓トロギール島へ渡る橋の手前右側にある市場
トロギール チヴォ橋 橋の向こうはチオヴォ島トロギール アドリア海
トロギールは城壁に囲まれた小さな島 南側トロギール 南側城壁
トロギール市街地時計塔
トロギール 聖ロブロ大聖堂 13世紀に建築開始、17世紀に完成 様々な建築様式が組み合わせ聖ロブロ大聖堂入口 ライオン像の上にアダム像、奥イブ像
トロギール 聖ロブロ大聖堂トロギール 聖ロブロ大聖堂
トロギール 聖ロブロ大聖堂 鐘楼からチオヴォ島トロギール 聖ロブロ大聖堂 鐘楼からチオヴォ島
聖ロブロ大聖堂 鐘楼から本土方面 中央・青部は市場 トロギール 聖ロブロ大聖堂 鐘楼
トロギール 聖ロブロ大聖堂 鐘楼へ上がる階段トロギール〜スプリット 車窓 
アドリア海沿岸最大の港町スプリット東側 ローマ皇帝ディオクレティアヌス(245-316年?)の宮殿、 在位20年を超し305年に自らの意思で退位してスプリットの宮殿に住むようになった。  ローマ帝国が滅亡して、その後異民族が入り込んで、人々が宮殿の基礎部分の上に建物を増築する形で町を築いていったので古代と中世の建物が複雑に絡み合う町になった。旧市街地
スプリットスプリット 旧市街地のディオクレティアヌス宮殿壁
ローマ皇帝ディオクレティアヌス宮殿の図 南北215m、東西180m、周囲が厚さ2m高さ約20mの巨大な壁により囲まれているスプリット 宮殿の地下
宮殿の地下 ディオクレティアヌス帝の胸像スプリット 宮殿の地下
スプリット ディオクレティアヌス宮殿 右手大聖堂スプリット 大聖堂に隣接する鐘楼 スフィンクス
スプリット 宮殿内市街地 スプリット 宮殿内市街地 
宮殿隣接 グルグール・ニンスキ像 左足に触ると幸運がスプリット ディオクレティアヌス宮殿 右手大聖堂 8角形
スプリット旧市街の中心部 ディオクレティアヌス宮殿 ペリスティルディオクレティアヌス宮殿 城壁
スプリット ディオクレティアヌス宮殿 右手大聖堂スプリット 海岸広場にて
スプリット 西側海岸スプリット 西側
スプリット〜ツァウタット 車窓
スプリット〜ツァウタット 途中下車して
スプリット〜ツァウタット 途中下車して
スプリット〜ツァウタット 車窓スプリット〜ツァウタット ボスニアのネウムで休息時 
クロアチア⇒ボスニア⇒クロアチアと国境越え2回
ツァウタット 宿泊ホテルホテル朝食レストラン
ドゥブロブニク市内観光へ ピレ門の上に、守護聖人聖ブラホの像があるドゥブロブニク
ドゥブロブニク市内観光説明 ガイドさんドゥブロブニク オノフィリオの大噴水1438年建立
フランシスコ会修道院フランシスコ会修道院 中庭、14世紀のまま
ドゥブロブニク図 フランシスコ会修道院は14-15世紀に建てられたが、1667年の大地震の後に再建フランシスコ会修道院
ドゥブロブニク 市街ドゥブロブニク 市街
ドゥブロブニク 市街聖ヴラホ教会、18世紀に建て直される ドゥブロブニクの守護聖人の聖ヴラホ
ドゥブロブニク 市街にて ポスター正面奥 スポンザ宮殿 1516年建築 貿易都市ドゥブロブニクの税関17世紀まで、その後文化サロン、1667年の大地震の被害を受けなかった建築物 現在は古文書館
文化歴史博物館として利用されている総督邸 15世紀初頭建築、ゴシック様式の邸、30年後火薬爆発後はルネッサンス様式で修復、1667年大地震後はバロック様式で修復装飾、その後ロココ様式、と異なる家具・部屋・装飾絵画、等など 総督邸の中庭 ラグーサ共和国の行政機関があったドゥブロブニクの中心部 
総督邸 2 階総督邸の2階
ドゥブロブニク 大聖堂 1192年英国王リチャードが創建 17世紀にバロック様式に再建