カイロ?上空
ホテルより景色 カイロ・ギザ
初期王朝 BC3100?-2650? メネス王が上下エジプトを統一 
古王国 BC2650?-2180? ジョセル王:階段のピラミッド(ピラミッドコンプレックス)、クフ王:ギザのピラミッド カフラー王:ピラミッドとスフィンクス造営・・・大規模ピラミッドの建造期、材料は石材
ピラミッドコンプレックス(王の遺体を河岸神殿に運んでミイラにしてさらに葬祭殿(亡き王の家)へ、墓が近接一体の複合建築・・中王国までの様式)、
(中間期)
中王国 BC2133?-1786? エジプト再統一 都をテーベ(ルクソール)に
BC1990 テーベーからリシュト付近に遷都
ピラミッドは造られたが規模は大きくなく、材料も日干しレンガが使用され、新王国には造られなくなっていった。
(中間期 異民族ヒクソス侵入支配)
新王国 BC1567?-1085? ピラミッドコンプレックスが分離され、カルナック神殿(アムン大神殿)、ルクソール神殿、王家の谷(王の墓所)などが造営される
第18王朝アメンホテプ一世:都をテーベ(ルクソール)
BC1500 ハトシェプスト女王即位 ハトシェプスト女王葬祭殿(葬祭殿:亡き王の家)、
BC1350 トゥトアンクアムン(ツタンカーメン)王即位
BC1286 第19王朝ラムセス2世カデシュの戦い(ヒッタイト・トルコの侵攻を防ぐ)=世界最初の平和条約 アブシンベル大岩窟神殿、小神殿、多数の自己石像神殿造営 
(中間期 異民族侵入支配)
末期王朝:異民族侵入支配国家 BC667アッシリア支配〜 ペルシャ等〜 BC332 アレキサンダー大王エジプト征服(アレキサンドリア建設)
プトレマイオス朝(ギリシャ人 アレキサンドリアを中心に地中海世界の文化の中心)BC304-30、大王の部下プトレマイオス1世即位、BC30 クレオパトラ自殺(アクティウムの海戦に破れローマに屈する) 以後は 
ローマ帝国支配、イスラム異民族支配国家が続き、 1952年ナセル等によりエジプト革命を達成してエジプト人国家成立
(年数諸説あり ・・ものすごく大雑把 自分で調べてください)
クフ王ピラミッド入場前 定員1日300人
クフ王ピラミッド紀元前2550年頃前 底辺の一辺230m 高さ146mだったのが現在137m
カフラー王のピラミッド 高さ143m 上部の化粧岩見える 左はクフ王ピラミッド
ピラミッドパノラマポイント展望地にて、同室の人とラクダに乗る(前) 左ピラミッド=クフ王、右ピラミッド=カフラ-王
ピラミッドパノラマポイント展望地にて 左ピラミッド=メンカフラ-王、右ピラミッド=不明
ピラミッドパノラマポイント展望地にて
右手太陽の船博物館、左手クフ王ピラミッド
太陽の船: 復元に14年 長さ43m
太陽の船博物館にて 太陽の船太陽の船:死後のクフ王が、天空を旅するときにに使うらしい
スフィンクスとカフラー王ピラミッド
スフィンクスに隠れている、クフ王と小さい女王のピラミッド
メンカフラ-王とカフラー王ピラミッド
車 窓
車 窓 手前左クフ王 右カフラー王ピラミッド
紙ペーパーの語源 パピルスの作製過程の実演説明 パピリスの茎 河畔や沼地にはえ群落を生している、2m以上になる
茎の中の髄を取り出すために圧し
縦に裂い縦横に編み出来上がった物を見せている 
古代エジプトから筆写材料として前31世紀から紙が普及する8-9世紀まで、エジプトでぱ10世紀まで使用