大英博物館入口 フラッシュ付きの写真撮影、ビデオカメラの撮影も出来る
ハドリアヌスの砦とハドリアヌス皇帝
ロゼッタ・ストーン(1802年以降展示)  ナポレオン遠征軍の大尉がエジプト
の港湾都市ロゼッタで発 見。114.4cm、72.3cm、27.9cm、760kg。花崗
閃緑岩。 エジプト語とギリシャ語の2種類の言語で書かれ、エジプト語の
神聖文字(ヒエログリフ)と民衆文字(デモティク)、ギリシャ文字の3種類で
書かれていた。ギリシャ語部分は読むことが出来たので、残りの言語
の部分も、恐らくギリシャ語と同じことが書かれていると推測され
た。1822年、シャンポリオンによって解読され、それからエジプト語の文書
も解読されるようになった。
エジプト、アッシリア展示
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エジプト展示
アッシリアのサルゴン2世の宮殿の門に置かれていた人頭有翼のウシの像 最初フランスが発見して持ち帰ろうとしたが大きすぎて出来なかった。どうして、イギリスが持って帰ることが出来たのか?
その後1800年代になって、パルテノン神殿に彫り込まれていた諸彫刻(エルギン・マーブルと言われる)が大英博物館に大部分が運ばれてしまった。イギリスの外交官でオスマン帝国の特命大使であったエルギン伯爵は、パルテノン神殿の彫刻群に関心を抱き、オスマン帝国のスルタン・スルタン3世から許可(当時のギリシャはオスマン帝国領)得て、多くの彫刻を切り取ってイギリスへ持ち帰った。 1970年〜現在、ギリシャ政府はイギリスに対してエルギン・マーブルの返還要求・運動をしている。
パルテノン神殿 15世紀に東ローマ帝国を滅ぼしたイスラム教のオスマン帝国支配下では弾薬庫に転用され、そのためにヴェネチア軍の砲撃を受けて大破
パルテノン神殿の彫刻
パルテノン神殿の彫刻
パルテノン神殿の彫刻
パルテノン神殿の彫刻
パルテノン神殿の彫刻
パルテノン神殿の彫刻
パルテノン神殿の彫刻
パルテノン神殿の彫刻
パルテノン神殿の彫刻
アッシリアのサルゴン2世の宮殿の門に置かれていた人頭有翼のウシの像 最初フランスが発見して持ち帰ろうとしたが大きすぎて出来なかった。どうして、イギリスが持って帰ることが出来たのか?
エジプト
エジプト 5100年頃前埋葬され遺体が完全な形で残っている「ジンジャー」赤毛のミイラ
エジプト
エジプト
エジプト(四角い不自然な箇所は修正貼付けしたので)
エジプト