海洋博公園より伊江島を望む
ひめゆりの塔(”ひめゆり”:沖縄師範学校女子部「白百合」・沖縄県立第一高等女学校「乙姫」の交友会誌があり、そこから「姫百合」となり、戦後にひらがなに):1945/3/23、両校の生徒222人、教師18人は、戦場に動員され沖縄陸軍病院に配属された。・つづく・・・
ひめゆりの塔 ・・・・負傷兵の看護や死体埋葬に追われ、仮眠も取れなくなる。米軍が迫る中、学徒たちは、日本軍とともに本島南東部に向かい、激しい砲爆撃の続く中、6/18夜、突然の「解散命令」により、戦場に放り出された。絶望し、逃げ惑い、ある者は砲弾・ガス弾で、ある者は自らの手榴弾で命を失いました。ひめゆり学徒死亡。教師・学徒240人中136人(「解散命令」後の数日で、100余命)、その他90人が死亡。・・他の中学・高女も同様に根こそぎ動員・・日本本土上陸を一日でも遅らせる防衛・持久作戦の為に。
平和祈念資料館(県民総動員の地上戦で20数万人死亡し、一般住民の戦死者は軍人よりも多く10数万人。この戦争体験こそ、戦後沖縄の人々が米国の軍事支配の重圧に抗しつつ、つちかってきた沖縄のこころの原点。・つづく・・・
平和祈念資料館 ・・・・人間の尊厳が何よりも重く、戦争に繋がる一切の行為を否定し、平和を求め、文化を愛する心。:戦争犠牲者を弔い、沖縄戦の歴史的教訓を正しく次世代に伝え、世界に訴え、恒久平和の樹立に寄与する。展示:1.沖縄戦への道、2.鉄(砲弾)の暴風、3.地獄の戦場、4.(住民)証言、5.太平洋の要石 )*配布資料より
平和祈念公園 平和の礎(最初の米軍上陸地、阿嘉島の火と、広島市の「平和の火」と、長崎市の「誓いの火」を合火。 沖縄戦の戦没者で判明しているすべての人々238,429名の名前を記した碑を放射状に配置。)、  遠くに摩文仁の丘
摩文仁の丘(激戦地 国立沖縄戦没者墓苑、各県の慰霊碑他)展望台より:黎明の塔、32軍司令官自決の地(標高89m)等、眼下に広がる’原生林’、’断崖絶壁’)
識名園(国王一家の別荘、外国使臣の接待) 六角堂
識名園 御殿
お茶会をしていましたので